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毒親にされて辛かったこと5選 [コラム]

思い返せば私は毒親に育てられてきたのかもしれない。
私が毒親にされてきたことを5つ挙げていく。

⓵暴言・暴力・育児放棄
②嫌味・否定
③遊びに突き合わせる
④親戚を巻き込んで私を悪者扱いする。
⑤無視

⓵暴言・暴力・育児放棄
「これは教育だ」「愛のムチだ」と言って必要以上に怒鳴る、叩く、蹴るが日常茶飯事だった。
・食事を与えない
・1日じゃ終わらない課題を与える
・寝坊してるとわかってて起こさない
・保護者が書かないといけない書類を書かない
・家事をしない
気に入らないことがあると「反省するまで許さない」と言い、暴力・無視・嫌がらせを一方的に浴びせてきた。


②嫌味・否定
「なんでこんなこともできないの?」
「あんた何ができるの?」
「成績は悪い、スポーツできない、バイトもできない、〇〇もできない、〇〇もダメ、・・・・・」
と私の欠点を毎日のようになじってきた。
私を見て大げさに溜息をつくのも、私の解答用紙に大げさに×を付ける行為も傷ついた。

③遊びに突き合わせる
私の家では「友達を遊ぶのはダメだが家族と遊ぶのは良い」という謎ルールがあり、旅行や遊びによく付き合わされた。
周りから見れば仲の良い家族に見えるだろうが、
・1時間以上かけて目的地に向かう。
・観光する。
・1時間以上かけて帰る。
これを大人のペースでやるのだ。
子供と大人の体力は全然違うもので、普通の旅行でも子どもが大人についていくのは体力的にキツイ。
子供だった私は旅先から自宅まで自力で帰れないため、「親の機嫌を損ねたら旅先に置いて行かれる」という恐怖から親に逆らえなかった。
ディズニーに置いて行かれた時の恐怖は今でもハッキリ覚えている。
小学生から親のご機嫌取りで精一杯だった。

④親戚を巻き込んで私を悪者扱いする。
中学生になると親の言動がおかしいと気づきだしたので、少しづつ親に反抗するようになった。
親は暴力で対抗してきたが、チカラでも親に勝てるようになってきた。
そこで母は「私が一方的に暴力をふるった」と親戚に言って周り、親戚を巻き込んで私を悪者扱いしてきた。
確かに私は母に暴力をふるったが、母だって私に数えきれないほどの暴力と暴言をふるってきた。
だが母の普段の行いを知らない親戚たちは私を悪者扱いし責め立てた。

⑤無視
無視は人ができる最大の侮辱行為であり、暴力・暴言よりもはるかに辛い。
私がイジメや体調不良のことを相談すると母は「あんた勉強を頑張らなあかんよ」とだけ返した。
「私の人生や健康よりも成績のほうが大事なのか」と絶望した。
私が親に声をかけて、何も答えないことも毎日あった。


「私が負け組なのは親のせい」とは思っていない。
たくさんお金をかけてもらったし、恩返しできないことを申し訳なく思ってるが、もう少し
教えてくれても良かったのではないか?
褒めてくれても良かったのではないか?
向き合ってくれても、話を聞いてくれても、良かったのではないか?

最近になって「親として何もできなくてごめんね。」「やり直そう」と言ってくるが、許せるわけない。
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