「努力しろ」という人は頭が悪い [仕事]
「努力しろ」と言う人は頭が悪いので関わらないようにしている3つの理由を紹介する。
⓵努力は人それぞれだから
②人の努力は簡単に否定できる
③誰でも血が滲む努力をできるわけではない
⓵努力は人それぞれだから
私は1つのことを集中してできないため、勉強しても集中力が30分と持たないうえ、本は1か月に1冊が限界なため、1日30分勉強しただけで達成感を感じる。
私にとってはたった30分の勉強だけで「努力」である。
努力は自分にしかわからない。
②人の努力は簡単に否定できる
学生時代に実際にあった私と先生の会話を例に出すと
先生「お前は勉強が足りない」
私 「してます」
先生「じゃあ昨日何時間勉強した?」
私 「3時間です」
先生「少ない!5時間しろ!」
仮に私が「5時間勉強してます」と言ったとしても先生は「8時間しろ!」と言う。
仮に私が「8時間勉強してます」と言ったとしても先生は「10時間しろ!」と言う。
なんとでも言えるのだ。
③誰でも血が滲む努力をできるわけではない
「あのスポーツ選手は学生時代から友達と遊んだりせず練習に打ち込んできた」
「社長は何度失敗しても挑戦をして会社を育ててきた」
彼らは一般人ができないことをやったから成功してるわけで、それを一般人に求めるのは無理な話である。
「それは甘えだろ!?」と言うが、他者に依存するのは自分に負担をかけないために本能として生き物に備わってるものであり、甘えがあることが普通である。
ごくまれに大企業の社長やトップアスリートのように甘えず自分を追い込める人がいるが、普通はできない。
もちろん「努力したかどうか」を評価するのは他人である。
だが、全く努力してない人はいない!
やり方が間違ってるか何かが足りないだけであり、それを「努力しろ」だけで片づけたところで何も解決しない。
「努力しろ」と言う前に相手がどんな努力をしたかを見たのか?
「努力しろ」ではなく「どんな努力をすればいいか」を言ったほうが良いのではないか?
「努力しろ」と言う人こそ相手のことを考える努力をしてないのではないか?
「努力しろ」と言う人は教える能力がなく、それを改善する努力をしてない。
思考しているから「努力しろ」という便利な言葉に甘えてるのである。
だから「努力しろ」と言う人と話すだけ無駄である。
⓵努力は人それぞれだから
②人の努力は簡単に否定できる
③誰でも血が滲む努力をできるわけではない
⓵努力は人それぞれだから
私は1つのことを集中してできないため、勉強しても集中力が30分と持たないうえ、本は1か月に1冊が限界なため、1日30分勉強しただけで達成感を感じる。
私にとってはたった30分の勉強だけで「努力」である。
努力は自分にしかわからない。
②人の努力は簡単に否定できる
学生時代に実際にあった私と先生の会話を例に出すと
先生「お前は勉強が足りない」
私 「してます」
先生「じゃあ昨日何時間勉強した?」
私 「3時間です」
先生「少ない!5時間しろ!」
仮に私が「5時間勉強してます」と言ったとしても先生は「8時間しろ!」と言う。
仮に私が「8時間勉強してます」と言ったとしても先生は「10時間しろ!」と言う。
なんとでも言えるのだ。
③誰でも血が滲む努力をできるわけではない
「あのスポーツ選手は学生時代から友達と遊んだりせず練習に打ち込んできた」
「社長は何度失敗しても挑戦をして会社を育ててきた」
彼らは一般人ができないことをやったから成功してるわけで、それを一般人に求めるのは無理な話である。
「それは甘えだろ!?」と言うが、他者に依存するのは自分に負担をかけないために本能として生き物に備わってるものであり、甘えがあることが普通である。
ごくまれに大企業の社長やトップアスリートのように甘えず自分を追い込める人がいるが、普通はできない。
もちろん「努力したかどうか」を評価するのは他人である。
だが、全く努力してない人はいない!
やり方が間違ってるか何かが足りないだけであり、それを「努力しろ」だけで片づけたところで何も解決しない。
「努力しろ」と言う前に相手がどんな努力をしたかを見たのか?
「努力しろ」ではなく「どんな努力をすればいいか」を言ったほうが良いのではないか?
「努力しろ」と言う人こそ相手のことを考える努力をしてないのではないか?
「努力しろ」と言う人は教える能力がなく、それを改善する努力をしてない。
思考しているから「努力しろ」という便利な言葉に甘えてるのである。
だから「努力しろ」と言う人と話すだけ無駄である。
2020-12-31 15:05
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